春の月 夏の夜
QALI〜日々と写真と時々うた

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春                 
ネット環境お引越し完了しました。
メールアドレス変わりますので、また連絡しますね。




この数日、静かな時間を過ごして

ネットがないと時間がとても余ることに気付いたり。




合間に市民演劇の「八犬伝」見に行って

長いお付き合いの友人の新たなかっこよさを発見したり。





今まで二人きりでお茶なんてしたことなかった友人と

二人きりでお茶したり。

彼女も長いお付き合いではあったけど普通なおつきあいのママ友だったのね。

ひょんなことで

お互いもう少し深いところで再び出逢うきっかけがあって。





家族の意外な本音を聞いたり。






こんな風に。


ずっとそばにある
すぐ身近な存在とも

日々、わたしたちは新しく出逢ってて。



それでも、ほとんどの日を
なんとなく通り過ぎて出逢わずに生きていること。

毎日顔をあわせていても、その人の全てに出逢うことはないぐらい
人には限りないものがあるんだよね。





そんなことが愛おしく感じるのは

春っぽい雨のせいかな。




また春が来たね。
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汚れ                 
 ある日突然

何年も前の汚れが
ポロっと剥がれ落ちるように汚れが落ちることがあるんだよね。



強い洗剤を使って
一生懸命お掃除してもその時は取れなくて諦めてた汚れ。



そんな汚れが
年月を経て



ぽろって。




洗剤も使ってないのに


つるって。




あらあ。

ここってこんな色してたのね。


ってちょっと驚いて。




拍子抜けだけど

ちょっと嬉しくて。




でも


お掃除してなかったわけじゃないんだ。
落とそうと思わなかっただけでね。







きっとね。


こころもこんな感じなのかなって想った。





そのときは、
こころから剥がれない感情。

そこから離れたくて必至なんだけど離れられないような感情。



諦めて忘れた頃

ぽろって。







2年前取れなかった台所のアルミテープが
ノリもスッキリおもしろいように剥がれ落ちたんだよね。




わたしのこころの何かも剥がれ落ちたのかな。



それがなんなのか
わかんないけど


なんかスッキリした。






剥がしたくて剥がれなくて年を越して
今もわたしにくっついてるのがある。

いつか、これも剥がれ落ちる日がくるんだろうね。




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営み                 


あなたのワクワクと


わたしのワクワク


つなげていったらどんなワクワクになるかな。



って想像。







そしたら

また違うワクワクとつながったり。


終わったり。始まったり。


いろんなものや気持ちがが生まれたり。








うわあ。
むぎゅむぎゅしとる。

生き物みたいだー。







そんな営みの愛おしさ。





その方法は、なんだっていいんだね。






 
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いのちの望む方向へ                 
やっぱり


好きなことしかできないんだなあ




痛感した日。




 


なんの苦もなくパワーが出てくることって好きなことなんだろうなあ。


ヘトヘトになってたはずなのに


ワクワクしてくる。眠気も吹っ飛ぶ。


聴こえなかったハートの音が急に聴こえ始めて



いろんなことが動き始める



いのちの望む方向へ。






今日ってそんな日。











うん。
あらためて思った。


これからも。


思いつきを生きていこう。







時々ね。


いつでもいろんな人に支えられてること忘れちゃって

ひとり迷宮入りして怖くなっちゃうんだけど


いつもいいタイミングで思い出させてもらって。





感謝。





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シロウト                 
手なれたものには飛躍がない。
常に猛烈なシロウトとして、危険をおかし、直感に賭けてこそ、
ひらめきが生まれるのだ。

                    ─ 岡本 太郎 ─
                      


おーいぇい。

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「明日できることは今日やらない」                 


昨日、心に残った言葉。

「今日の目標にこだわりたい。」



それを聞いてふっと以前タモリさんが言ってた

「明日できることは今日やらない」という言葉を思い出した。






そんな話を娘にしたところ

「それって結局どっちも同じこと言ってるよね。」と。



あーなるほど。

そうだな。


明日できることは今日やらないということは
今日しかできないことは今日やるということか。



                 

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終活                 
 ランチに立ち寄ったお店で手に取った週刊朝日。

「終活事情」という記事に目が。


就活、終活。

なるほど。



毎週テーマが違うようで記事には、「樹木葬」が取り上げられていました。



木の下で皆と眠る「樹木葬」、育む結縁


『血縁ではなく、結縁・・・』



これからそうなっていくのかもしれないなあと思った言葉でした。






そう感じながら思い出した


今年の春、わたしの母方の墓にあったこと。




いつも通り、お彼岸にお参りに行くと・・・・・


ない・・・


あるはずの墓がない・・・


くまなく探してみたけどない・・・・




きつねにつままれたような気持ちで母に連絡を取ると

母も知らない様子。

でも、ないものはない。。。





お寺に聞いてみたところ
長男(母の兄)がお墓を処分していったことがわかりました。



母は、7人兄妹なのですが
7人いてもその姓を継ぐ人は誰もいませんでした。
つまり、お墓を継いでいく人がいない。


その上、付き合いのない兄妹関係なので
実にさっぱりしてました。





でも、このことは、うちでも近い将来起こりうるかもしれない。



わたしは、長男の家に嫁いだけど生まれたのはふたりとも女の子。
お墓も姓も継ぐことは自由だと言ってあります。






知り合いとお墓の話をすると同じような状況にある家は少なくないことがわかります。
お墓を持たない葬の形は、これからどんどん増えるかもしれませんね。









血縁よりも結縁。

最期を看取るのも看取られるのも血縁であるとは限りませんしね。
いつどこで誰のお世話になるのかわからない。
どんな縁も受け容れられる自分でいれば。




わたし自身は、モンゴルにある「風葬」に憧れます。
風の強いモンゴルならでは。
ご遺体を丘の斜面にごろっと晒して置くだけの葬。
ただただ風化するのを待つのみ。







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2008                 
とにかくいろんな出逢い・再会があって

そのひとつひとつから
新しい宇宙がどんどん生まれていくような1年でした。


今年も、ありがとう。



どうぞ
みなさん良いお年を。





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ドヤ街と赤線地帯 ”生きること”                 
先日の横浜への旅でBOOさんに
日本三大ドヤ街の寿町へ連れて行ってもらいました。

触れたのは寿町のほんのちょっとの表情だったけど
かつての赤線地帯で生まれ育った私には
なにか懐かしい空気に感じ
ここに書いておこうって思った。






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しし座流星群とワンピース                 
姉が亡くなって今月でちょうど10年。
ゆうべ、ようやく姉の着ていた服を片付けることに。


帰り道、夜空を見上げると
流れ星が次々に流れてて、寒さも忘れ。



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