ランチに立ち寄ったお店で手に取った週刊朝日。
「終活事情」という記事に目が。
就活、終活。
なるほど。
毎週テーマが違うようで記事には、「樹木葬」が取り上げられていました。
木の下で皆と眠る「
樹木葬」、育む
結縁 。
『血縁ではなく、結縁・・・』
これからそうなっていくのかもしれないなあと思った言葉でした。
そう感じながら思い出した
今年の春、わたしの母方の墓にあったこと。
いつも通り、お彼岸にお参りに行くと・・・・・
ない・・・
あるはずの墓がない・・・
くまなく探してみたけどない・・・・
きつねにつままれたような気持ちで母に連絡を取ると
母も知らない様子。
でも、ないものはない。。。
お寺に聞いてみたところ
長男(母の兄)がお墓を処分していったことがわかりました。
母は、7人兄妹なのですが
7人いてもその姓を継ぐ人は誰もいませんでした。
つまり、お墓を継いでいく人がいない。
その上、付き合いのない兄妹関係なので
実にさっぱりしてました。
でも、このことは、うちでも近い将来起こりうるかもしれない。
わたしは、長男の家に嫁いだけど生まれたのはふたりとも女の子。
お墓も姓も継ぐことは自由だと言ってあります。
知り合いとお墓の話をすると同じような状況にある家は少なくないことがわかります。
お墓を持たない葬の形は、これからどんどん増えるかもしれませんね。
血縁よりも結縁。
最期を看取るのも看取られるのも血縁であるとは限りませんしね。
いつどこで誰のお世話になるのかわからない。
どんな縁も受け容れられる自分でいれば。
わたし自身は、モンゴルにある「風葬」に憧れます。
風の強いモンゴルならでは。
ご遺体を丘の斜面にごろっと晒して置くだけの葬。
ただただ風化するのを待つのみ。